KUSSA魂-俺の唄を聞けぃ!-

若作りしたおっさんが精一杯いろんなことにチャレンジしたり諦めたりするネガティブな日常を垂れ流します

俺はテロリストが嫌いだ

年齢を重ねてきたせいか,食べ物に対しても人に対しても好き嫌いがなくなってきた。昔はそれこそ魚が嫌いとか果物嫌いとか鶏肉嫌いとかあったのだが,40も後半を迎えるころから条件付きではあるけれど徐々に食べられるようになってきた。今ではほとんどのものを美味しくいただけるようになったはずだ。(ゲテモノは不可)

嫌いな食べ物

魚なんて嫌いだった

条件付きと書いたが,実例を述べると魚については骨があるものは未だに苦手だ。鮎などは骨はあるものの骨まで食べられるものについては問題なく食べられるようになったが,焼き鮭,サバの味噌煮,サンマの塩焼きなど骨をとってさあ食べようと口ほおばったとたんに骨を発見して口からださなければいけない場合はとにかく最悪だ。その瞬間からその食べ物を口に運ぶことが嫌になる。サンマについては何度となく居酒屋にてサマン好きの友人から骨をとる技術についてレクチャーを受けてはいるが頻繁にやることではないのでその場限りとなってしまい,今ではその友達にほぐほぐしてもらっている。それでも昨今のコンビニの真空パックされたサバなどはほぼ完ぺきに骨がないので食べることができるようになった。ちなみに刺身,寿司は大好物。

果物嫌い

昔は好きだった。おそらく。なんだかおぼろげながらメロン(ほぼプリンス)を貪り食っていた気がする。おそらく,嫌いになったのは給食が原因だ。いや,給食に罪はない。果物が好き過ぎた俺に問題がある。ある日,パイナップルが出た。パイナップルなんて我が家では缶詰になって甘く魅惑の味ものしか食べたことが無い。もちろん美味いに決まっているので,この時も貪り食った。給食で出たパイナポは皮付きの四角くカットされたものだった。美味くて美味くて必死に貪った。そのあげく歯でパイナポの実の部分を執拗にこそぎ取る暴挙に出ていた。どこまで食べたかは記憶にはないが,食後に体育館でバスケしていたころに異変を感じた。口の中がヒリヒリ痛む。いやヒリヒリというかビリビリ痛み出した。そこから果物嫌いは加速した。メロンも食べているとなんとなくヒリヒリしてくる時がある。少しでもあの時のパイナポを思い出すと食べたくなくなる。ちなみにブドウなど皮を自分でむいて,口から出さなければいけないものは未だに好きではない

それでも最近ではタネ無しで皮も食べられるブドウなど品種改良も進み,ヒリヒリ感を感じる果物も減ってきた。最近まで食べたことの無かったラフランスなどは大好物となった。

鶏肉嫌い

かすかな記憶によると鶏肉を嫌いになったのも給食だ。単純ではあるが鶏のから揚げを食べていると血管を発見したのが最初だったと思う。特に鶏肉はチューリップやケンタッキーなど骨付のものが多く,形も原型を連想させるものが多いので俺的には無理して食べたいとは思わないものになった。ただなぜか焼き鳥は昔から大丈夫。先日始めて手羽先(世界の山ちゃんで)に挑戦したが,熱くて手が痛いという理由で今のところまだ苦手だ。最近,から揚げについては食べられるようになってきた。呑み会の席で見かけることが多いため,少しずつつまんでいたら徐々に大丈夫になった気がする。

まとめ

なんとなくおわかりいただけたと思うが要するに「骨,種,皮」が嫌いだという結論に達した。「骨,種,皮」と言っても全てではなく食べることができる物については例が手となる。もっと突っ込むと

一度口に入れたものを出すのが嫌

というのが自分の食べ物に対する趣向のようだ。そういえばガムもあまり好きではない。

嫌いな人物

さて,次に嫌いな人について話そう。

気持ち悪い人,怖い人,何考えてるか分からない人,行動や言動がおかしい人などあらゆる人がいますが特に嫌いではない。LGBTがどうとか色々話はあるけど,そういうことで身の危険を感じることはあっても(笑)否定や批判はしないし嫌いにはならない。

タイトルにも書いたけど

自分の価値観押し付けてくる人

は嫌いだ。いや厳密に言うと思うだけならいい。自分の価値観だから自分の中では絶対だと思う。そんなことは俺も含め誰も否定しないむ。ただ,他人の価値観を否定するのはやめてほしい。

例えば

 

A夫さんはB子さんが好き。C郎さんはD美さんが好き。

A夫さんがC郎さんにD美さんの(A夫さんにとっての)欠点を指摘してB子さんの(A夫さんにとっての)美しさを押し付ける。

 

A夫さんはB社の製品が好き。C郎さんはD社の製品が好き。

A夫さんがC郎さんにD社製品の(A夫さんにとっての)欠点を指摘してB社製品の(A夫さんにとっての)良さを押し付ける。

 

同様の例だけど,他にも信仰している宗教や好きなアーティストなど挙げればきりがない。良いものをお勧めするのはいいと思うが,押し付けてくるのは意味がわからない。人それぞれ好みや趣味苦手なものなど違い,だからたくさんのデザインやジャンルができてそれぞれのいいところが融合したりしてまた新たなものが生まれたり..

価値観の押し売りはテロ行為

そういう行為はある意味でテロと言っていいと思う。世界中のテロリストたちは自分たちの価値観に基づいて行為に及ぶ。そのためには人の価値観などはおかまいなし,価値観どころか生活,人生すら顧みない。聖なる~~の名のもとに自分たちの価値観をこちらに押し付けてくる。無慈悲な~~など昨今の報道を見ると世界中から自分たちの価値観を他人(国)に押し付けてくる輩がウヨウヨしている。例えレベルが違うとしても国内にも俺の周りにもテロリストが暗躍している(笑)。

そして俺もその一人だったと反省している。

少なくとも喫煙に関しては15年以上の長期にわたり周辺各位に対してテロ行為を行ってきた。もちろん喫煙することに対してテロ行為だと決めつけているわけではない。

自分の場合,食堂などでの食前食後,タバコを喫わない友人の車や家,職場の執務室等もちろん禁煙の場では喫っていないが,男らしいの名のもとに(笑・聖なる~とおんなじ)喫煙し,非喫煙者の迷惑を顧みずに自分の欲求(価値観)を満たしていたのだから。

ここまで話すと,喫煙しないことも一つの価値観,価値観を押し付けるなという意見もあるだろう。もちろん俺は喫煙を否定しているわけではない。喫煙してもいいが非喫煙者には関係ないところで喫煙して欲しいだけなのだ。

隣国の例で言うと核開発どんだけしてもいいけど我が国の上にミサイル飛ばすのやめてくれ

って感じかな..違うか(笑)

幸い自分の周りには喫煙者はたくさんいるが,ある程度配慮してくれている人ばかりなので気になることはほとんどない。本当に感謝しかない。

まとめ

喫煙に限らず自分の今までの人生を振り返るとテロ行為(自分の価値観の押し売り)を行ってきたことがたくさんある。良かれと思って話していても他人にとっては迷惑なことだったり,ストレスになることがこの世の中にはたくさんある。この記事を書いていて全てを完璧に誰とも争うことなく平穏にいい人として生きることは不可能であるとしても,自分の意見だけが全てで他人の考えは否定する人間にはなりたくないと思った。