KUSSA魂-俺の唄を聞けぃ!-

若作りしたおっさんが精一杯いろんなことにチャレンジしたり諦めたりするネガティブな日常を垂れ流します

1000文字書くってこんな感じか

そういえば,昨今ただなんとなく唄っててるところを人に見ていただくことが普通になってしまっているが,今までまともにギターも歌も誰かに習うことなくやってきた。幼い頃モノラルのラジカセに自分の声を録音して自分が普段聴いている自分の声とのあまりのギャップに愕然としてしばらく電話に出ることも友達と話すことも怖くなったこともあり,いつの間にか立ち直ってはいたものの未だに自分の声は嫌いなのは変わりなく,仕事上録音された自分の声を聞くたびによくこんな声で唄っているなぁと関心してしまうこともしばしばある。それでもいつのまにやら人前で唄ったりしているのだから人生とは不思議だなと思う。ライブに出ることはお金を払うこと(チケットノルマ)と思っていた遠い昔。今もお金をもらうことは無いが参加費程度で30分ほどステージにあがる機会がもてる今の時代にはまったくもって感謝しかない。そんな中誰々がこんなこと言ってたよ等と情報を操作(自分なりに解釈?)して真意は知らないが人を蹴落とそうとする輩の話を人づてに聞いた。まぁ「人づて」というのは恐ろしいもので,真相を知っているとびっくりするくらい話が飛躍していたり完全に妄想の産物であったりするものだと今までの経験からなんとなく感じているので話半分だとは思っているのだけどそれにしても酷い話だと思っていて自分にもそんな魔の手が来ないかと戦々恐々としているのだけど問題なのはそんな輩が何を目的としてそういうことをしているのか自分のようにあまりそういうことには興味のない人間には理解できないことにあると最近思っている。もちろんきっと何がしかその輩には目的なり利益があるのであろうが理解できないのは自分が阿呆なのかお人好しなのかは定かでないが少なくとも自分が同様なことをしたとしても利益にはならんだろうなと思ったらそんなことよりPS4をいかにして1円でも安く買うか悩むことの方が自分にとっては有益だったり,走りたいけど寒いから走りたくないのでタイツを買おうか悩んだり,ApplePayでAppleWatchにSuica入れてるけど使うのはローソンで週に2~3回だったと実感して呆然としたり,そういうことのほうが自分にとって大事なんだよなと改めて実感していたらトランプが大統領でもクリントンが大統領でも自分にはそんなに影響ないかもとマクロ過ぎて検討もつかないのを見て見ぬふりできた。ぐふふ